「恐れを超えて、ガリラヤへ」
聖書:マタイによる福音書 28章1〜10節
米子教会牧師 武石 晃正
主イエス・キリストの復活を心よりお慶び申し上げます。伯耆富士と称される大山の冠雪が解け始め、雪解け水が日野川を潤す頃、山里では田起こしが始まります。土が掘り返され新しい命を迎える日本における春の息吹は、遠くガリラヤの地で大麦の収穫を終えて過越祭を迎える高揚感と不思議に重なり合います。
マタイによる福音書は週の初めの日の明け方、主の墓を訪れた婦人たちの姿を伝えています。彼女たちを迎えたのは大きな地震と天から下った主の天使でした。番兵たちは恐ろしさのあまり死人のようになりましたが、天使は婦人たちに語りかけました。「あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ」と。
「復活」を文字通り「復(ま)た活きる」と読み下すなら、「復た」というからには一度は完全に死ななければならないのです。主イエスは私たちの罪を負って十字架で死なれ、墓に葬られました。しかし、死は終わりではありませんでした。
父なる神は御言葉の成就として、主を三日目に死者の中からよみがえらせたのです。人間の理解を超えた神の業に触れたとき婦人たちは抑えきれない喜びに満たされて、「恐れながらも大喜びで」墓を立ち去り弟子たちに知らせようと走りました。その途上で出会われた復活の主が「わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい」と告げられました。
「ガリラヤ」とは弟子たちが最初に招かれた地であり、主は裏切りや失敗を責めるのではなく彼らを「兄弟」と呼んで懐かしい場所での再会を約束されました。それは、「もう一度、最初から始めよう」という赦しと回復の招きです。私たちが新しい環境や課題に直面して不安や恐れを抱いたとしても、復活の主が私たちの「ガリラヤ」すなわち日々の生活のただ中に先回りして待っていてくださいます。
キリストを信じる者は洗礼によってキリストと共に葬られ、キリストの復活によって新しい命へと移されました。死の力に打ち勝たれた主が、今も私たちと共にいてくださいます。今年のイースターに臨み、教区のすべての教会と兄弟姉妹の上に復活の希望が豊かに注がれますよう祈ります。
