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第2回宣教会議報告(仮ページ)

報告者 倉敷教会 牧師 中井 大介

 去る二〇二六年二月九日(月)に宣教会議がオンラインで開催されました。

 各地区と各部委員会からの報告の後、
①次年度予算策定のための懇談会
②東中国教区総会の持ち方について(参加費、宿泊費、交通費等についての意見交換会)③将来的東中国教区宣教に関する件等を取り扱いました。

 なかでも前回総会で意見のあった教区総会経費についての考え方を協議したセッションは、次年度と次々年度の予算策定についての考え方に影響する議論であり、また将来的宣教を検討するうえでの現在の教区の財務体質を考える時間となったので、このたびは、このセッションを中心に報告することといたします。

 現在は教区総会を開催するにあたって参加議員から参加費を徴収しています。前回総会においては、このことは実質的な参加者への負担金と見做されるのではないかとの意見が上げられました。また、教区総会は教区が主催する会議なのだからそもそもの経常会計内に総会引当金を十分に充当しておくべきだとの意見もありました。別の角度からは、教区総会への参加費支出が負担感を増して出席へのネガティブ要因となっている、さらには教区総会に参加しなければ参加費を支払わなくて済むという間違った考えを誘引する要因となっている、などの現在の仕組みがモラルハザード(倫理崩壊)を招きかねない懸念を抱えている点が確認されました。

 このようにあらかじめ問題が提起されていた「参加費の徴収について」から協議が始められました。これに先立って財務部委員会からは、この懸案についての見解が出されました。それは次の五項目からなります。

 一、東中国教区総会への出席は諸教会においては義務である。
 二、教区総会費用全額を教区負担金で賄う場合総会引当金割合が大きく(現状から約六  
   〇万円の増額)なり、その原資は教区負担金の増額によって賄わなければならなく  
   なる。 
 三、参加費は四十六教会が同額を支払っているので、係数で計算する負担金で処理する 
   場合には負荷率で割り振られることとなり公平性にそぐわない。
 四、教区総会欠席 の理由に総会参加費用捻出の困難があるという場合には教区が支援
   するなどの援助が必要と考える。
 五、他教区での事例を収集して研究していく余地はある。以上のように、財務部委員会 
   が事前にこの見解を出されたことによって宣教会議で交わされる議論の解像度が高     
   まりました。

 前回総会の議員出席率は七十一%となっており、これは東中国教区の最高議決機関に向けられる熱意としては残念な数字とも受け取ることができます。やむを得ない事情での欠席もあるでしょうし、教区総会に期待を持つことがしにくいというご批判も含まれているのかもしれません。しかし、宣教会議の中では、教区総会の開催は東中国教区の義務であるのと同時に、参加は議員の権利でもあるということが確認され、教区総会に参加するところから教区づくりへの参与が始まっていくことの理解が共有されました。
 また、東中国教区の財務体質は、教区内の四つの大規模教会によって教区負担金額の五十四%が占められており、もし仮に教区参加費総額を負担金として加算したら四つの大規模教会の負担額が係数的に大きくなり、一律とは言いがたい負荷になるという財務部の試算報告がなされています。また、教区総会への参加は諸教会においては原則的に教職と信徒が参加するのは間違いなく、無牧教会・代務教会・兼務教会・現住陪餐会員二〇〇人超教会を例外とすれば、一律に付加できるのであるから、従来の財務部委員会提案の負担金負荷額が計算された後に一律の教区総会参加費用を追加した合計金額を負担金総額とするような新しい提案ができるのではないかとの意見も出されました。

 宣教会議の中では、来たる教区総会に向けた二〇二六年度予算策定の枠組みに、これらの協議を盛り込む議論もありましたが、財務部委員会が策定してきた予算案に根本的な改変を加える内容を組み入れることは作業的にも、教区内の皆様へのご理解を求める点においても、現実的には難しいことが解りました。なお、このたびの予算案総額は昨年度経常予算±ゼロとしつつ、事務職員の正職員化にともなう人件費の増額を組み入れて現状の予算内で賄うという枠組みが提案されており、これは翌日の常置委員会で承認され、教区総会議案として取り扱われることとなりました。さらには、このたびの宣教会議で協議されたように、次々年度予算策定の折には、教区総会への参加費用を教区経常予算内に当初より引き当てられるかを年度内に協議するというアジェンダを残すこととなりました。教区の歩みはゆっくりかもしれません。しかし、このたびの宣教会議は教区総会を財務的にどのように形づくっていくかという観点から将来の教区の有り様を検討することのできた機会であったようにも思えます。これらの議論に過大なる祈りが捧げられましたことを感謝するとともに、主の導きがありますようにと祈ります。