教区宣教会議のご報告

第一回宣教会議報告
於;上井教会
報告;中井大介

去る二〇一五年八月三十一日(月)、上井教会において第一回宣教会議が開催されました。このたびの宣教会議は、先の教区総会における数々の問題提起を受け、教区財政における具体的な施策に結びつけるために、学びと自由な発言の場を設ける目的をもって開催されました。参加者は教区三役、常置委員、各部委員長と地区長を主として十九名。
十一時定刻通りに大塚忍副議長により開会が宣言され、礼拝を執り行い、祈りをもって開始しました。午前中は嵐護議長と柴田彰常置委員による基調講演。
嵐護議長からは「現状の認識・課題への展望」と題して、直近十年の教区における教勢推移の分析がなされ、四十七教会中十五教会が代務及び兼務であり教勢が減少している現状をもとに、東中国教区が諸教会を支えるしくみを何とか検討したいという所信が表明されました。嵐議長の個人的な体験を通して、互いに助け合うという互助や謝儀保障という制度だけではなく、人と人とのつながりを通して伝道が励まされる部分が大切にされてもよいのではないかと語られた後に、教区における信徒は力や賜物を持っており、共にある牧会という支え合いの道を歩み始めたいと語られました。続く柴田彰常置委員からも「これまでの教会・これからの教会」と題しての基調講演を頂きました。はじめに二〇〇六年度東中国教区教師研修会の戒能信生牧師によるレポートからの問いかけを聴衆に問われました。それは一九七〇年以降の教勢伸張も特徴はなく、無風教区といわれる東中国教区が、長期的な視野に立ち教区を支える人材を育ててきただろうか、という痛烈なものでした。それと同時に、困難を抱える教会を強化し、支援するしくみの前提として「一教会一牧師」という原則に囚われすぎてはいないだろうかと、考えても見なかった視点が示されました。概念としては伝道圏伝道や共同牧会に近いものです。各教会に一人の牧師がおり、その教会が財政的に自立していることが、教会としての基準である、と私たちは認識しているけれども、日本伝道の歴史においてキリスト教ブームなどの恵まれた社会状況をのぞいて、そのような基準が満たされた時代は短いものでした。イエス・キリストの宣教、パウロの伝道は常に多様な少数者を大切にしてきたものであり、多様性が生きる現場が小さくともたくさんあることが、これからの教会の生きる道であると語ります。現在の組織に適した財政を目指すならば、教職制度に依存しない信徒組織による営みを育てていくことも選択肢においておくべきだろうと語られました。教区の各地にある礼拝の民の群れを、様々なつながりによって支えて行く伝道、“ネットワーク(「つながり」が「機能する」)”を強くすることに教区からの支援の比重を高めてはいかがだろうかと語られました。印象的な言葉として「個の量ではなく、個の充実が、その共同体のエネルギー」だと語られ、今ある教会が、今、手にしている賜物を再発見していくことによって、具体的に地の塩として生きるのだというのです。
その後、三名の方からの発題をいただきます。はじめに濱上進常置委員より「教区負担金について」、続いて森嶋道常置委員より「伝道資金について」、最後には「教会強化献金について」嵐議長よりの発題となりました。
質疑応答を通して活発な発言が続きます。以下、臨場感を感じて頂きたいために会議で語られた言葉を箇条書きでお示しいたします。
・ 松田章義さん;議論はたくさんやればよい。これまでは具体化する段階で空中分解してきたけれども、これからは決まったことを一歩ずつ進めていきたい。
・ 森嶋道さん;伝道資金についての考え方を研究していくことは有用である。中期宣教計画にあった礼拝サポートも具体化しかけているし、総社教会の再生ワークキャンプや、夏期の神学生による伝道実習などにも伝道資金を活用できるだろう。
・ 柴田彰さん;教会の高齢化が進むと、教会の雰囲気が好きで教会に集う人が多くなっているのではないだろうか。教会の雰囲気を創り出すための環境整備に力を入れる必要がでてきている。
・ 金子直子さん;信徒が育つということは大切なことである。信徒訓練という言葉の響きが気になるのだが、その内実において信徒がどのように育まれていくのかを検討してほしい。
・ 柴田彰さん;教会に加入する人が感じる負担は、今は強いのではないだろうか。ただでさえ、狭き門に入ってきた人を、徹底的に訓練していこうとするのがこれまでの教会である。そうではなくて、来たい人は誰でもおいで、といえる教会の雰囲気づくりが大切だ。
・ 濱上進さん;このたびの発題資料を作成するために積み上げた統計資料によって東中国教区の諸教会における献金力の差を見つけることができた。一人当たりの教会への献金を多く献げているところが、教区負担金が重いという傾向が見られる。また、教団の中で十一献金という考え方をどのように伝えるべきか、また伝えざるべきかに悩みつつ過ごしている。このような悩みを分かち合う機会がほしい。
・ 柴田彰さん;かつての献金は共同体内の宗教的身分や社会保障の全てが込められていたのだが、現在では行政サービスや他の福祉事業などによって補われていくようになっている。そうした中での献金の在り方は変わって当然である。今まで教会員は一生懸命に献げるだけのものを献げてきている。じつはお金のあるところに、人の魂も居心地よく存在できるものである。ならばお金を必要とする場所に、どれだけ自分を献げられるかは、当然、神さまを意識したものとなってくる。
・ 森言一郎さん;役員会の合同研修会などが開催され、自他共に各教会が苦労していることを分かち合い、対話を積み重ねていく機会をもうける必要が感じられる。
・ 嵐護さん;財務担当者による研修会が計画されている。その研修が信徒相互の学び合いになるように願っている。
・ 柴田彰さん;かつての牧会の現場で病気の人から「私みたいな者が来てすみません。元気だったらもっと献金できるのに」といわれた経験がある。教会は強い人しか来られないところだと私たちは思わせてきた。
・ 松田章義さん;教会は献金をいっぱい献げることを期待するところ、元気な人が集まるところ、お金を求められるところ、余裕のない人が来るところ、いろんなことが考えられるが、私たちの求める教会とはどのようなところだろうか。信徒の声を、もっと常置委員会や宣教会議に届けられるような仕組みができないだろうか。
・ 柴田彰さん;教団伝道資金は原資が約五千八百万円であり、各教区が要求できる限度額は約五百八十万円。当初から、教団にある十七教区全てが限度額一杯に要求しても応えられない制度設計になっており、制度そのものが破綻している。つまり、この制度に依存しすぎると、制度が変化したり廃棄されたときに教区は会計上大きく揺れることとなる。
・ 柴田彰さん;東中国教区には無牧教会が多いので、各教会の献金と伝道資金による交付金を合わせて複数教会を牧会する牧師を雇うという宣教プランが策定されてもよい。
・ 森嶋道さん;現在、教区同士のつながりを意識する制度は、これしか残っていない。この制度を育てるようにして教区同士の助け合いを作り出せないだろうか。破綻が想定される制度であるのだから、今のところ有効活用できる方策を検討する必要があるし、ある教区では通常会計に入れずに制度が破綻しても影響がないように準備しているところもある。
・ 嵐護さん;このような制度は、必ず揺り戻しがあるし、厳しい方向に傾くことが予想される。身の丈にあった申請をし、厳しいときに教区は自立していけるように備えておくべきである。
・ 松田章義さん;将来的には教会強化費の原資をどうするか、きちんと整理しておかなくてはならない。経常会計から捻出して負担金を出すのがよいのかどうかを常置委員会に検討して頂きたい。私自身は、経常会計からの支出でよいと考えている。
・ 延藤好英さん;教区のビジョンをはっきりしていったほうがよいのではないだろうか。
・ 森言一郎さん;関東教区はナルドの壺献金などの制度をもっており、教区内の教会員一人当たり一日五円という基準で献金を献げている。そのようなことが東中国教区でもできないだろうか。
・ 柴田彰さん;奥羽教区や関東教区は、一教会一牧師体制で自立することを目標に設定している。けれども、私はその体制は維持できないと考えている。だからといって経済的に自立できない教会を教区の重荷とは考えていない。むしろ東中国教区は、そこにキリスト教宣教の現場を持っているわけであり、これは教区の財産なのではないだろうか。いよいよ東中国教区が計画的に宣教プランを策定していくという時期に差し掛かっているのではないか。
・ 森嶋道さん;規模の大小を問わず、どの教会にも与えられた使命があるはずだ。経済的自立が教会の目標ではない。それぞれの教会に特有の目標と、宣教の目的を具体化することが必要とされている。
・ 松田章義さん;かつて教育行政に携わった経験からいえば、小学校などの統廃合は地域の元気を奪うことにつながっていた。教会同士の合併や統合を検討する前に、現在、教職が兼務、代務している教会を、教区がどのように活性化させるかを課題としてほしい。
・ 嵐護さん;諸教会が抱えている課題は多岐にわたっている。よい施策を行うための道は遠くとも完成を待つまでは待てない。できるところから始めていく。そのための教区の長期ビジョンを描かなくてはならない。
以上のような発言が活発に取り交わされ、宣教会議の名にふさわしいときが与えられました。最後に会場を提供して頂いた上井教会と田中英也さんに感謝の拍手が送られ、午後五時過ぎに主の祈りをもって会議は閉じられました。

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